出雲地方の旅行記(11) - 石見銀山(2)【改訂】


石見銀山の「龍源寺間歩(まぶ)」への散策の続きです。カタログから抽出した散策マップをこちらに再掲しておきます。




散策の途中には墓所やお寺が目立ちました。江戸時代に銀山の労働力の担い手は親の跡を継げない次男・三男以降でした。大東亜戦争時の炭鉱労働者がそうであったように、厳しい労働に対する対価は高かったとの事で、近隣地域だけでなく全国からも人々が集まってきました。実際3千万人ほどがその時代の日本の総人口であった時、約16万人が石見地区に居たそうです。

厳しい労働条件の為に人々は短命であり、全国から集まった人の宗派も多様でした。その為に各宗派のお寺が経ちました。安養寺(こちら)・清水寺(こちら)など多数の寺院の他に墓所(こちらこちら)も残っています。







山に囲まれた狭い谷間に流れる川が氾濫すると、墓所が流される事もあったようです。その為に無縁仏をお祀りするも作られました(こちら)。後で訪問した羅漢寺の五百羅漢もこの事が背景になっているそうです。




一方、大枚な金を得た人も出てきて、お寺へ寄付などをしています。そしてお寺はその人の家紋などを天井に描いたりしました(こちら)。




【改訂】 2016年05月03日 02:30 写真を追加


 

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